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令和元年11月14日(木)、東京販売士協会のフレッシュ会員交流会が、日本橋の室町にて行われました。

 

今回、事務局や参加者が最も関心を寄せたのは、大島会長による、株式会社千疋屋総本店社長と東京販売士協会会長の一人二役だったのではないでしょうか。
第一部では、同店8階会議室にて、大島〝社長″率いる千疋屋総本店のブランド経営についてのご講演、続く第二部では、同店フルーツパーラーにて、大島〝会長″率いる東京販売士協会の交流会という構成で実施されました。

第一部のブランド経営のご講演においては、千疋屋総本店の歩みを紐解くため、江戸時代後期に遡り、創業者の大島弁蔵氏が現在の越谷市で槍術道場を開いていたところからお話が始まります。
生計を立てるために道場経営に代わる他の商売を思案していた弁蔵氏は、川の搬水路を活かして、地元の農作物を江戸一番の盛り場に持ち込むことに成功します。
そこは、現在の日本橋人形町。当時は、市村座や中村座の芝居小屋で賑わっておりました。
その町にかかる橋のたもとの一等地で「水くわし安うり処」として創業したのが千疋屋総本店です。

 

しかし、ここで筆者に疑問が生じます。

 

創業当時の〝安うり処″と、現在の〝高級専門店″は、対局の経営理念。
なぜ千疋屋総本店は、その後、安売り量販店として水平に拡大することを選ばず、高級専門店として垂直に拡大することを志向したのでしょうか。

 

その背景として、お話は、日本橋界隈における老舗小売店の歩みに続きます。
ここ日本橋界隈で老舗小売店を営んでいくためにはどうあるべきか。
日本橋界隈とはどの様な町なのか。
江戸時代末期から明治時代にかけての時代背景、そして大正、昭和、平成、令和へと続く中で、千疋屋総本店と日本橋界隈の歴史と文化が、同店の現在のブランド経営の礎を築いてゆきます。

 

お話の後半では、6代目となる大島〝社長″が、ご自身が学んだ経営学を如何に教科書通りに実践したか、さらには、ご自身の感性で、如何にその実践に磨きをかけてきたかが、惜しみなく明かされます。

 

その頃、向かいのフルーツパーラーでは、〝社長″が来店するとあって、従業員の方々の会場セッティングには余念が無く。ただならぬ緊張感が漂っていた…かどうか定かではありませんが、お勉強のあとは、楽しい、美味しい交流会です。

 

つい先程まで千疋屋総本店について学んでいたところでしたから、その理念の承継者である〝6代目社長″と共に日本橋室町の目抜き通りを眼下に眺めながら戴くスイーツは、格別の味わいでございました。
なんという付加価値の高さ。

戴いた御馳走は、千疋屋3社の本店が共通食材を使用して独自の楽しみ方をご提案する「チャリティーメニュー企画」の中から、「日本橋千疋屋総本店提供 和栗のミルフィーユ」です。
パイ生地に栗のクリームとホイップクリームを挟み込み、相性の良いカシスのソースとともに、秋の果物を楽しむ絶品。

御馳走様でした!

 

会員交流会では、事務局の方々が、毎回、とても深い刺激になる機会を企画してくださいます。是非奮ってご参加くださいませ。